2012/08/18

文系のための「統計の歴史」(2)

元来、統計というのは、体系的に整理された「国家のデータ」であった。
だから、現在でも「人口統計」と言うと、分析のことではなく、
人口データそのもののことを指す。

では、なぜ我々は、「統計」という言葉を聞いて小難しい分析を思い浮かべるのか?

この疑問を考える上で歴史上の最重要人物であるのが、
ランベール・アドルフ・ケトレー(1796-1874)という人物である。
この人物は、「近代統計の父」とも言われている。

先に、今回の話の参考資料を挙げておく。
私は、ケトレーの本はまだ読んでいない。読まないといけない。

1. Victoria Coven, 2003. History of Statistics in Social Sciences, An Academic Journal on the Web.
2. 清水幾太郎(1978)オーギュスト・コント―社会学とは何か』、岩波書店.

なお、本ブログは、適当な抜粋である。
嘘を書いているつもりは無いが、私情と私見がかなり入っている。
あくまで、これは単なるブログ。

このブログからのマゴビキ引用は禁止!自分で確認すること!
特に、大学のレポートだからと言って、手抜きしないこと!

さて、いきなり、話が逸れてしまった。
ふむ。それで、ケトレーとは、一体、何者か?

ケトレーは、ベルギーの数学者であり、天文学者だった。
彼は、マルサス、フーリエ、ラプラス、べバッジ、といった、
現在でも広く知られる伝説的な研究者らの影響を強く受けた人物の一人だった。
なるほど、この人物も、中々、非常に面白そうな人物である。

そもそも、18世紀から19世紀の初頭という時期はどういった時期であったか?
かろうじて、「神の力」が社会に影響力を持っていた頃であり、
つまり、教会によって社会的秩序が保証されていた時代であった。

ところが、フランス革命(1792-1802)が起きると状況は一変し、
やがて、社会は不安定になった。社会学はこの時期に登場し、
ケトレーが名付けた「社会物理学」もこの頃に登場する。

そう言えば、カントの『純粋理性批判』も、少し早いが、概ねこの頃(1872)。
歴史的なコンテキストとしても関係のするのだろうか?

さて、そんな時代に、ケトレーという人物は、
人々の行動に影響する原因」というものに強い関心があったらしい。
そして、「計算」という手段によってより簡単にその原因とやらを見出すことができる、
科学は、それを可能にするものである。そのように、考えていたようである。

ケトレーは、1820年にブリュッセルの王立科学アカデミーのメンバーに選ばれると、
様々な研究プロジェクトに参加し、人口統計に代数と幾何学の応用を試みた。

例えば、ベルギー人の出生率と死亡率から保険のレートを決める方法を考案したり、
ボディマス指数(BMI)と呼ばれる体格指数を考案したり、
とにかく、色々なことを考えた。そういう人物だった。

こうした試みの背景には、マルサスの『人口論』や、
フーリエによるパリでの統計の研究、
とりわけ、ラプラス確率論の原則からの影響があったようである。
実際に、彼らとは親交もあったらしい。

そもそも、確率論というのは、17世紀の賭博台から始まったものであったが、
その有用性の高さから、19世紀にはケトレーが利用するには
十分なレベルに発達していたし、彼は確率論をかなり高く評価した。
自然法則が社会にも通用するのであれば、確率論は十分に適用可能なのだと。

さて、彼の特に重要な業績は、おそらく、
人間とその能力の発展について-社会物理学の試み』である。
彼にとっては、第四番目の刊行物であり、
彼自身が「社会物理学」と名付けた分野の一端が垣間見える。

この本において、彼は、人の平均体重と平均身長を計算し、
性別、年齢、職業、出身地、による「クロス集計表(二元表)」を作成した。

うん?クロス集計表対応分析でも出てくる。
自信の無い人は、ここで、確認しておいた方が良いかもしれない。この話はいずれ。

とにかく、クロス集計表を作成した。何のためか?
それは、擬似的な架空の人格「平均人」を創り上げるためであった。
この平均人からの距離によって、現実に存在する人を統計的に観察できると考えたのであった。
平均平均からの距離(偏差)が個性という訳である。なるほど、非常に面白い。

この考えは、生物系統学におけるアーキタイプあるいは、
マックス・ウェーバーの「理念型」にも通じる概念にも思える。

さて、ケトレーという人物、後のマルクスデュルケイム
ナイチンゲール、非常に多くの人々に影響を与えた。
実は、この辺りの話を踏み込んでまとめたいところなのだが、今は止めておく。
正直なところ、まだまだ、調べきれていないことが多い。

今一度、注目したいことは、ケトレーの生きた時代
実は、彼、社会学の父と言われるオーギュスト・コント(1798-1857)と同世代人。

コントの親戚の中には、フランス革命後の混乱期に、
ギロチンで処刑された人もいる。フランスの激動期に翻弄された人物の一人である。
それ故に、コントにとって「社会的秩序」は何よりも重要なテーマであった。

社会的秩序という視点は、間違いなく、ケトレーにも存在する。
彼は、自身の方法論を社会改善に役立てようと考えていたらしい。
当時の混沌とした社会の中で、神に替わる秩序を欲しいたのかもしれない。
そして、おそらく、それは信仰心の否定という形ではなく、
むしろ、信仰心を通して自然に立ち向かえるという希望であったかもしれない。

遅々としたものであっても、人は道徳的な力を通して、自然の力に立ち向かえる

ケトレーはそのように感じていたようである。したがって、

自身の状況を理解することで、未来の自分の状態を改善できる

混乱の中から如何にして、社会的秩序を見出すのか?
さらに、より良い社会に発展させるにはどうするべきか?

歴史的状況と、社会学の登場は切っても切れない関係であり、
社会に自然科学(あるいは物理学)の法則を適用させようとしたことは、
歴史的、文化的にも重要なことである。

単に、自然法則の方法を適用するだけでなく、
そこから、社会秩序に関する問題解決を図ること、
それこそが、統計学の登場背景なのかもしれない。

ケトレーの考え方は、後に社会学第二世代と称される社会学者の一人、
デュルケームに影響を与え、ナイチンゲールに受け継がれることになる。

特に、ナイチンゲールは、近代統計学を語る上で非常に重要な人物であるが、
この話は、次の話で。

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